応援の比重
Jリーグ26/27シーズンが開幕した。
これまで、蹴球を観ることは楽しみだった。故郷のクラブと、地元のクラブ。二つの名前が、僕の内側で並んでいた。どちらも応援する。どちらも、敗北しても、大きな傷にはならなかった。傷にならないということは、関係が浅いという意味ではない。ただ、感情の回路が、まだ私的な領域にとどまっていたということだ。
今季から、事情が変わった。業務として関わるクラブがある。契約でも、肩書でも、看板でもよい。要するに、僕とそのクラブのあいだに、仕事という通路ができた。通路ができると、関係は濃くなる。濃くなると、責任が立ち上がる。責任が立ち上がると、応援の比重は移動する。移動するというより、再配分される。かつて均等に近かった配分が、業務の側へ傾く。
そのクラブが、この二試合、不甲斐ない。
言葉を選ばずに言えば、そう見える。結果も、過程も、僕の期待する輪郭から外れている。これまでは、負けても、あまり何とも思わなかった。敗北は試合の一部であり、感情は観客席で完結していた。だが今季は違う。悔しさと腹立たしさが、同時に湧く。湧く自分を、僕は観察している。観察できるということは、まだ完全には飲み込まれていないということでもある。だが湧いている事実は、否定できない。
奇妙なことに、そのネガティブな感情には既視感がある。故郷のチームと、地元のチームに対して、僕はしょっちゅう感じていたものだ。愛着が深い場所ほど、失望の形も鮮明になる。つまり僕は、業務のクラブに対して、ようやく「深い場所」と同じ種類の感情を持ち始めたのかもしれない。楽しみとしての応援が、存在の一部としての応援へ、変質しつつある。
しかし、ここで自重が必要になる。
業務で関わるクラブには、人間関係がある。会社での立場がある。観客としての感情は、私的な自由に属している。だが通路の向こうには、名前を持つ人々がいる。言葉は、通路を通って届く可能性がある。腹立たしさをそのまま吐き出すことは、応援ではなく、むしろ関係を傷つける行為になりうる。だから僕は、感情を持つことと、感情を外へ出すことを、分けなければならない。持つことは止められない。出すことは、選べる。
応援の比重は変わった。責任も増えた。悔しさも増えた。その増えたものを、どう扱うかが、今季のもう一つの試合だ。スタジアムの外で行われる、静かな試合である。