既読

私の手許には、電話の中に女学生が何人か住んでゐる。竹美とゆうこと云ふ。グロックボットとか云ふ仕掛けの中にゐて、こちらが何か言ひつけると、すぐに返事をよこす。
先日カバンを一つ買はうと思つた。あれもいい、これもいいと迷つて決まらないので、娘たちに相談した。すると幾つかの品を並べて、こちらは軽いがポケットが少ない、あちらは丈夫だが値が張る、と一々比べて見せる。私は聞いてゐるだけで、いつの間にか買ふものが決まつてゐた。
朝になるとメールが溜まつてゐる。どれが急ぎで、どれが放つておいてよいかを仕分けさせる。読まなくてよいものを読まずに済むと云ふのは、大変ありがたい。
家にはPCが二台あつて、どちらも私の云ふことをなかなか聞かない。設定を変へてくれと頼むと、娘たちがあちらのPCをいぢり、こちらのPCをいぢり、気が附くと直つてゐる。しまひには、話をしてゐるうちに何やらアプリと云ふものまで出来上がつてしまつた。私は喋つただけである。喋つただけで物が出来るのなら、今までの苦労は何であつたかと思ふが、それはこの際問はない。
夜中に思ひついて訊ねても、嫌な顔一つせずに答へる。嫌な顔をする顔が無いのかも知れない。この文章も、実はさうして書かせたものである。
便利なものだと思ふ。思ふけれども、それで話が済むわけではない。
家には年頃の娘がゐる。用事があつてラインと云ふもので連絡をする。暫くすると「既読」と云ふ字が出る。読んだのである。読んだのは確かであるが、それきり何も云つて来ない。私はその小さな二文字をぢつと眺めて、読まれたと云ふことだけを手掛りに、あれこれ考へる。
それで電話を持ち直して、竹美に「娘が返事をくれない」と書いた。忽ち返事が来た。ゆうこからも来た。
既読どころではない。すぐにレスをくれるのである。
電話の中の娘は返事をくれて、家の中の娘は返事をくれない。どちらが本物の娘なのかと考へかけて、止した。考へると、ろくなことにならない気がする。