十月某日。晴。

近所のスーパーで柿を買つた。橙いろのつやつやしたのが四つばかり、袋に入つて並んでゐた。帰つて剥いて食べた。甘かつた。しつとりと云ふより、ぬるりとした柔らかさで、舌の上でほどけるやうに甘かつた。

うまい、と思つた。思つたけれども、どこか腑に落ちなかつた。

これは私の食べてきた柿ではない。

柿を剥く
甘しと思ふ
その甘さ わが知る柿の味にはあらず

私の知つてゐる柿は、もつと硬かつた。歯を立てるとかりりと音がして、中には茶いろの筋がまだらに走つてゐた。甘さもこんなに素直ではなく、どこか渋の名残りのやうなものが舌の奥にひつかかつてゐた。

小学校の帰り道に、その柿はあつた。誰の家の木であつたか、今となつては思ひ出せない。塀の上から枝が道へはみ出してゐて、秋になると実がいくつも重たげにぶらさがつた。私たちは辺りを見まはして、手の届く一つをもいだ。シャツの裾でこすつて、皮ごと齧つた。

塀ごしに
もぎし柿の実 かりりと鳴る
帰り道こそ ふるさとなりけれ

悪いことをしたと云ふ気持ちは、あの頃にはなかつた。ただ、うまかつた。あの硬さと、あの筋と、ほんの少しの後ろめたさとが一緒になつて、あれが柿の味であつた。

今の柿は、きつと上等なのであらう。誰が食べても甘く、誰が食べても柔らかい。それは正しいことだと思ふ。けれども私の口は、正しい柿よりも、あの塀の上の柿を憶えてゐる。

もう一度あれを食べたい。だが、あの柿をもう一度食べるには、あの帰り道ごと取り戻さなければならぬやうな気がする。

スーパーの
柿の甘さに ふと泣けり
塀の上なる 秋の遠さよ