街は、人と會ふため
久し振りに、休日の晝間から酒を飮んだ。
大學時代の友が東京に來てゐる。十五時の約束である。私は早めの晝すぎに、都内へ出た。以前ならば、いろいろな店を囘る目的があつた。いまは、なんにもない。街にある店や場所に行く目的が、喪失してしまつたのである。街なかは外國人旅行者ばかりだ。けつきよく、することを見つけられず、コーヒーを飮んで時間をつぶした。私は、もともと弱い人間である。目的を失ふと、すぐに途方に暮れる。
十五時の豫定が遲れるとのことだつた。私は先に飮み始めることにした。まだ陽の高い歌舞伎町。通り沿いの通行人を眺めながら、クラフトビールを飮む。晝間の酒は、夜の酒とはちがふ。どこか、自分を誤魔化してゐるやうな氣がする。一杯飮み終へた頃に、友が來た。もう一杯。その後、河岸をかへて、最新のビルの中にある外國人ツーリスト向けの屋臺村のやうなところで、東北をテーマにした店に入つた。燒き牡蠣とサワーをいただく。サワーは、なんだか化學的な味で、頭が痛くなる。私は、つひに、人工の酸味に敗れたのである。
その後、ゴールデン街でビールを一杯。店内の客同士が揉め始めて、喧嘩になる。まだまだ明るい十八時すぎ。年齢的には我々と變はらぬ五十前後である。醉つて揉め事を起こすのは、とつくに卒業してゐてほしい年頃だ。私は、自分もその年齢であることを思ひ、少々氣恥づかしくなつた。
名古屋へ歸る友と別れて、一人、行きつけのバーへ。數年振りでマスターと話に花を咲かせるも、樂しい時間はすぐにすぎる。よい時間ほど、すぐに消える。それが、酒の情けなさであらう。
街は、なんのためにあるのか。人と會ふためにあるものだらう。モノを得るために街に行く時代は、終はつたのだらう。
私は、今日、人と會つた。それだけで、十分ではないか。