キャスターマイルド
大学祭のころ、僕は煙草を吸っていた。うまく吸えていたかどうかはわからない。ただ吸っていた。好きだった先輩がキャスターマイルドを吸っていて、あるとき一本もらった。火をつけると、喉が熱くなって、それから少し甘い匂いがした。先輩は英語ができた。音楽も知っていた。部屋には西洋のポップカルチャーの雑誌と、香港映画の雑誌と、広東ポップスと、美術と、哲学の本があった。部屋は紫煙に包まれていた。紫煙というのはきれいな言葉だが、実際は目が少ししみて、シャツに匂いが残った。窓を開けても、すぐには消えなかった。
そのあと、恋人になった。英語と音楽のある部屋で、紫煙のなかにいた。それ以外のことは、あまり覚えていない。覚えていないというのは、忘れたというより、最初から細部が少なかったのかもしれない。
別れたあとに煙草はやめた。キャスターマイルドのかわりに、アルファベットチョコレートを買うようになった。箱を開けて、文字を選んで、噛む。煙は出ない。部屋は紫にならない。ただ甘いだけだ。甘いというのは、そういうものだと思った。煙草をやめると、手が少し暇になる。暇になった手で、チョコレートの文字を並べたりした。意味のある言葉にはならなかった。ならなくてもよかった。
それからあとの恋人は、いつも年下だった。年上の人の部屋で紫煙に包まれて、やめたあとは年下の人といる。煙草というのは、そういうものだ。火をつけて、包まれて、やめて、チョコレートを噛む。好きな人は年上で、やめたあとは年下になる。それ以上の理由は、たぶんない。理由がないというのは、べつに悪いことではない。僕はただ、キャスターマイルドの箱と、アルファベットチョコレートの箱を、同じ場所に置いていたような気がする。同じ場所というのは、正確には思い出せない。ただ、そういう気がするだけだ。