猫の市
森の入口に、猫が立っていた。毛並みはきれいだった。歩き方も正しかった。猫は、自分の歩き方だけが道だと思っていた。私は、このおとぎ話を、何度か思い出す。正しい歩き方ほど、人を狭くすることがあるからだ。
耳の長い兎が跳ねて通った。猫は言った。地を蹴るばかりで、歩いてはいない、と。木の実を運ぶ栗鼠がせわしなく走った。猫は笑った。小さな手で、何をしているのか、と。空をゆく雀が頭をかしげた。猫は背を向けた。足がつかない者とは、交われない、と。猫の市には、猫だけが集まった。魚の分け方も、昼寝の時刻も、みな同じだった。初めは気持ちがよかった。声も毛色も揃えば、心まで揃ったように聞こえる。揃っていることは、楽である。楽であることは、正しいことのように見える。
やがて市は細った。雨の日に屋根を貸す者がいない。穴を掘る者がいない。高い枝から見る者がいない。早く逃げる者がいない。ほかの獣は道を変えた。猫はひとり、腹を空かせて、不幸せになった。謙らない心は、先に他人を追い、あとから自分を置いてゆく。孤独は、正しさの褒美ではなかった。正しさと思ったものが、ただ狭かっただけである。
ある夕方、兎が草の陰から耳だけ出して言った。跳ねない者も、運ばない者も、飛ばない者も、みな森の者だ、と。耳は長く、声は細い。それでも森には届いた。栗鼠は木の実を置いた。雀は屋根の端に宿を示した。猫は、初めて頭を下げた。毛並みも歩き方も、前と同じである。変わったのは、耳の聞き方だけだった。下げることは恥ではない。違う耳を、耳として見ることだ。理解するとは、同じに直すことではない。受け入れて、初めて市が立つ。
異なるものを受け入れない社会は、成り立たない。成り立たなければ、自分もまた不幸せになる。謙虚さというのは、そういうものだ。強い獣が偉いのではない。違う耳を聞く獣が、市を残す。