選挙なんか終わってしまえ

私は子供の頃、政治に興味を持つ少年だった。
育ったのは山間の小さな村だった。当時、テレビは「王様」だったが、私の通う小学校では視聴時間が厳しく制限されていた。だから私は、新聞を読んだ。
新聞は漫画雑誌よりも遥かに刺激的だった。そこには世界があった。アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、そしてソビエト連邦。日本とは全く違う国。私には理解できない何かで動いている国。
東欧が崩壊した時、私は高校生だった。天安門事件のニュースを見た時、まるで歴史の教科書が目の前で書き換えられていくような感覚を覚えた。それはファンタジーだった。現実とは思えないほどに。
国内政治も好きだった。選挙のたびに、私は必ず投票所に足を運んだ。二十歳から今日まで、一度も欠かしたことがない。私は信じていた——投票しない者に、この世界に文句を言う資格はないと。
だが、今年は違う。
今、選挙期間である。だが、おそらく私は、生まれて初めて投票に行かないだろう。
理由は簡単だ。私は、この状況を完全に諦めた。
選挙は民主主義の根幹だ。それは真実だ。だが、「アテンション・エコノミー」が、民主主義を殺した。若い候補者たちは、ほとんどがインフルエンサーのようだ。知性はない。あるのは自尊心と、承認欲求だけ。「なりたい」という願望だけで、「なすべき」という使命感がない。
有権者も同じだ。なぜ彼らは考えないのか。なぜ調べないのか。なぜ、ただ流されるのか。
古い候補者たちは、腐ったカボチャのようだ。中身はもうない。皮だけが残っている。
私はただ、選挙が終わるのを待っている。結果がどうなろうと、もはや期待していない。
だが、私には子供がいる。その子供たちの未来を、私は祈らずにはいられない。明るい未来を。希望のある未来を。
何をすべきか——。
新聞を読んでいた少年の頃の私に、もし今の状況を説明したら、彼はどう思うだろう。「大人になったら、君は政治に絶望するよ」と告げたら、彼は何と答えるだろう。
私は投票に行かない。それは私の中で、一つの死を意味する。政治への期待という、長年抱いてきた何かの死。
だが同時に、これは逃避かもしれない。
子供たちの未来のために、私は何をすべきか。投票に行くべきか。行かざるべきか。
答えは出ない。
窓の外を見ると、選挙カーが通り過ぎていく。名前を連呼する声が、遠ざかっていく。
私はただ、黙って座っている。