肉と地域

近頃、東京の女性が京都の夫の実家で豚肉のカレーを出したところ、義母に貧乏を心配されたという話が話題になった。ハウス食品の調査では関西では牛肉が六割、東日本では豚肉が主流だという。これは歴史が作った味覚の地図である。京都府に生まれ、今は埼玉に住む私には、この違いが手に取るようにわかる。
関西人にとって肉といえば牛である。牛豚鶏のなかで牛を最上とし、それ以外を一段下に見てきた。関東で「肉まん」と呼ばれるものは、我々には「豚まん」でしかない。松阪牛、近江牛、神戸牛のようなブランド牛を日常的に口にできる者は少ないにせよ、安くても標準は牛肉だった。一方、関東は馬で開拓され、食用として品種改良の進んだ豚が重要なタンパク源となった。土地が育てた食の体系が、そう違うのである。
ただし、だからといって関西の牛肉文化を無条件で褒めるわけにはいかない。京都のすき焼きは甘すぎる。あれは牛に対する冒涜に近い。うまい字はたくさんあるが、よい字は少ない、と書の世界で言うように、牛肉を使っているからといって必ずしもよい料理になるわけではない。
埼玉に来て、私は関西の柵から解放された。きっかけはサイボクの豚肉である。スーパーゴールデンポークを食え、と言いたい。関西でふだん口にしている牛肉を、はるかに超えている。埼玉の豚肉は本当にうまい。この味は、豚を大切に改良し続けた人々の努力の結晶だ。埼玉県が他にこれといった特徴がないと揶揄されるなら、この豚肉をもって日本中、世界中に訴求すればよい。それだけの価値がある。
人生の半分以上を関東で過ごし、その半分を埼玉で暮らしている。東京には江戸以来の経済と文化の中心として、海の幸も山の幸も集まる素晴らしい食文化がある。埼玉をはじめ北関東は、その食材を供給する土地だった。海がない。当時の物流では鮮魚が遡上してくることもなく、干物を前提とした魚料理の土壌ができた。その不利は今も残っている。関東ローム層では芋や麦が主で、武蔵野うどんの麺は粗く素朴だ。洗練されているとは言いがたいが、それがかえって味になっているのも事実である。汁の味付けは、私の舌にはもう一歩及ばない。不味いわけではない。ただ、もっとうまいものがあるだろう、と思う。
東京と横浜を除く関東の食の水準は、関西と比べれば低いと言わざるを得ない。関西には都があり、海も山も近く、食文化を醸す時間がたっぷりあった。言えば怒られるかもしれぬが、事実は事実である。その代わり、関東の豚はここまで来た。馬とともに開拓し、豚を育て、品種を磨いた結果が、あの脂と甘みなのである。サイボクを食う幸せは、埼玉に住む私の最大の喜びの一つだ。牛よりうまい豚がある。それを知っただけでも、この土地に来た甲斐があった。
そういえば、川越の芋は「栗より(九里より)うまい十三里」と言われた。故郷の丹波栗よりも、今の私には川越の芋のほうが好みだ。土地は人を変え、舌も変える。味覚に正解はないが、自分の舌で選んだものは正解である。それでよいのである。