うそつき

うそつきは悪い。
これは誰もが知っている。うそつきは社会の屑だ。私だってそう思う。うそつきと飯を食いたくないし、酒も飲みたくない。話だってしたくない。誰だってそう言うだろう。
だが、私もうそつきだ。
そう、ほとんどの人間はうそつきなのである。違うか?我々は今この瞬間にも、いくつかのうそを抱えて生きている。そうせざるを得ないのだ。
では、誰が一番悪いうそつきなのか。うその大きさをどうやって測るのか。そんなことはできない。だが、こうは言える——権力を持つ者、名の知れた者がうそをつけば、それは広がり、悪しきものとして働く。王だの、大統領だの、首相だの、教祖だのがうそをつけば、災厄が起こる。今はその話ではない。
有名人のうそは、あっという間に世界中に広がる。そして、世間の反応もまた、あっという間に返ってくる。だからうそつきは、そうした悪評に耐えなければならない。それは辛い。だが「本当のうそつき」は、うそをつき続けて生きる。
私は、そういううそつきに感心する。
実に強い。精神的に強い。悪評を得れば、友人は去り、孤独になる。だが、もし彼や彼女が巨大なインフルエンサーなら、支持者がいる。だから悪質なうそつきでも、SNSのおかげで良い評判を得られる。
これは良いことか、悪いことか。
世間にとっては悪いことだ。だが、本人にとっては良いことだ。そして、もしうそつきが人生の終わりまで幸せに生きられるなら、それは良いことではないか。
繰り返すが、私はうそつきが嫌いだ。
だが、私はうそつきの生き方を見るのが好きなのである。