AIで作った画像や動画の広告を見ると、バカにされたような気がする。最近は、結構大きな、立派な企業まで使っている。そういう会社もこれをやるのかと思うと、ただ嫌だというだけでは済まなくなる。

商品やサービスのよさを伝えたいというより、少しでも安く作って、人の目に触れ、クリックが取れればよい。そんな作り方に見える。何を見せるかより、どれだけ見られたかのほうが大事なのだろうと思ってしまう。

私が気に入らないのは、客の扱われ方なのだと思う。何かを読んだり見たりする人としてではなく、とにかく一度押してくれればよい相手にされている気がする。広告を見ただけでそこまで思うのもどうかとは思うが、いったんそう感じると、その会社のことまで信用しづらくなる。

大きな会社も同じことをするのなら、これからこういうものが増えるのだろうか。それを当たり前と思うようになるのも、あまり愉快ではない。

ここまで書いて、自分のことを言わずに済ませるわけにはいかなくなった。私もこのブログを書くのにAIを使っている。

自分は出てきた文章を読んで、気に入らないところを直させている。読んでもらいたいことがあって、そのために使っているのだから違う、と言いたくなる。しかし、広告を作っている人も、出来上がりを見て直しているのだろう。クリックを取るためだろうとこちらが思っている広告にも、作った人には別の言い分があるかもしれない。

自分の文章だけは中身を読んでほしいと言い、他人の広告には、AIを使っていると気づいたところで嫌な顔をする。それでは少し都合がよすぎる。そう思っても、広告を見たときの感じは変わらない。

このブログも、人の目に触れ、クリックして読んでもらうことになる。私のほうでは読んでほしいことを書いたつもりでも、読む人からすれば、AIで手軽に作った文章がまた一つ増えたというだけかもしれない。

そこをわかってもらおうとすると、広告への文句より、自分の弁解のほうが長くなりそうである。自分の使うAIはよくて、他人の使うAIは気に入らない。こういうのを老害というのだろう。