蹴球の季節

また、蹴球の季節が巡ってきた。
僕は今日、大宮のスタジアムにいた。三年連続で開幕戦に足を運んでいる。この行為は、もはや習慣というより、ある種の存在証明に近い。僕がここにいること、この寒さの中で立っていること、それ自体が僕という人間の輪郭を定義する。
雪が降っていた。二月の雪。視界を曇らせる白い粒子。僕は紙コップに入ったビールを飲み、ウォッカとエナジードリンクを混ぜた奇妙な液体を胃に流し込んだ。アルコールは体を温めるというより、むしろ感覚を麻痺させる。寒さという現実から、一時的に逃避するための装置だ。
大宮対松本。僕は大宮を応援している。理由は特にない。いや、理由があるとすれば、それは地理的な偶然に過ぎない。僕がたまたまこの場所に住んでいるという、それだけの理由だ。
試合は大宮が勝った。僕の目の前で二つのゴールが決まった。球は網を揺らし、スタジアムは歓声に包まれた。松本も一点を返した。それもまた美しいゴールだった。美しさに敵味方の区別はない。
蹴球を観戦することは、僕にとって生きがいの一つだ。だが、ここで告白しなければならない。僕が本当に愛しているのは、京都のクラブだ。京都。僕の故郷。僕のアイデンティティの源泉。大宮より、遥かに深く、僕の存在と結びついている場所。
しかし、今季、京都は地域リーグに属している。物理的な距離が、僕と京都の蹴球を隔てている。だから僕は大宮のスタジアムに立つ。代替品として。あるいは、京都への思いを維持するための、逆説的な方法として。
蹴球の季節が来た。それは、僕が自分自身であることを確認する季節だ。スタジアムという空間で、僕は匿名の群衆の一部でありながら、同時に、確かに存在している。
雪は降り続けている。寒さは骨まで染みる。だが、僕はここにいる。それだけで、十分だ。